会社案内の注意点

旧方式に則っていれば、何の障害もなく受け入れられるわけだが、会社も新しく、販売方式も新しいという新しいものだらけでは、旧来のやり方にどっぷりとつかっている業界にとっては、それは違和感以外の何物でもなかった。
「こんなこと、よくも考えると思いましたよ、私だって。 ソフトメーカーの方々には、『そんなの無理だ』と言われました」(S)。
ソニー・ミュージックでレコード底への売り込みを担当していた烏本は、一九九四年一月、SCEI設立直後に入社した。 当時のソニー・ミュージックの小津社長に呼ばれて、「お前、ゲームゃるか」と尋ねられ、「いや、やりません」と答えたら、「じゃ、やってみるか。
SCEIに移って営業をやってくれ」。 新しい仕事は、てっきり底回りだと思っていたところ、ソフトメーカー向けの仕入れ販売の営業もするというのだから、Sは驚いた。
この時までには、仕入れ販売方式の内容は、ほぼ固まりつつあった。 「このやり方は決してソニー・ミュージック直伝ではないんですね。

あくまでもSさんの頭の中で発想されたものだから、こんなこともやるのかと意外でした。 仕入れ販売に似た受託販売というのは、レコード業界では普通のことでしたが、ソニー・ミュージックは受託販売をしない、珍しい会社だったんです。
他人の作品など身を入れて売れるかというわけですね」。 しかし、Sがソフトメーカーの説得にあれこれ回っても、なかなか契約書にサインがもらえなかった。
もうこうなったら納得してもらうまで何回も行くしかない。 ゲームなんか好きじゃないのに、なぜこんな苦労をしなくちゃならないのか…。
自分で売りたいというところは、このやり方は迷惑だろうと思いながらも、現状の問屋流通をこのまま野放しにしておくわけにはいかないという使命感だけが頼りだった。 特に、大手ソフトメーカーの抵抗が強かった。
それはそうだろう。 自社販売の自由が取り上げられ、初回数量の決定も、自分たちだけではできずにSCEとの協議になってしまう。
メーカーの販売担当としては仕事を奪われると警戒するのも無理はない。 Sは、ソフトメーカーに、「明らかに売れると分かっているタイトル以外は、小さく産んで、大きく育てましょうよ。
リピートを繰り返して回転させれば、大きくできますよ」と、リピートの仕掛けで説得した。 しかし、そこでの反応は決まって、こうだつた。
「そんなこと言わずに、ウチのソフトだけでいいから、初めから大きく育ててくださいよ」。 さらに商品を扱う店舗数のことについても警戒された。

それまで初心会の流通は二万五〇〇〇の販売底を相手にしていた。 ソフトメーカーにとってみれば、全国二万五〇〇〇の販売底に商品が流れていた(実際にきちんと品物が津々浦々に届いているかは別にしても)。
それに対し、SCEIの申し出は、「約五〇〇〇応にデリパリーを限りたい」(S)ということだった。 「そんな少数にしか入荷しないのか。
これまでより全然少ないじゃないか」。 しかし、Sの見方はこうだった。
「レコード店は全国で、七1八〇〇〇店あります。 だから、ソフトビジネスというものはそのぐらいの規模だと思いましたよ」。
一応が月に一〇〇〇万円以上売り上げる。 それが七1八〇〇〇応で、市場規模は一〇〇〇億円というのがレコード産業だ。
だから、ゲーム唐が二万五〇〇〇庄というのは、あまりにも多すぎる。 その結果、一応あたりの売上はどうしても少なくなってしまう。
「だから五〇〇〇応ぐらいが適正ではないか」と思ったのだ。 「でも、うちはゼロからのスタートなんですから、五〇〇〇庄でも多いんですよ。

最初は一〇〇〇府ぐらいなんじゃないかと、内心では思っていました。 正直にそう言うと、ソフトメーカーから怒られました」。
しかし、それでも粘り強く説得を繰り返しているうちに、理解者が現れてきた。 「このタイトルはいったいどのへんが売れ行きの天井なのかが、リピート・オーダリング・システムなら、今まで以上に追求が可能になります」という美味しいセールス・トークに反応が出始めてきたのである。
つまり「現実の売れ行きに合わせて、ソフトを作ればいいんです、そのためには、我々が販売動向をつかむ必要があります。 そのためには、我々が御社の製品を仕入れ、売らせていただきたい」。
「ソニー」というブランド力も効いた。 問屋機能の一つに、債権保全があるが、「そりゃ初心会よりソニーさんの方が、はるかに信用がおけます」との声もあった。
しかし、最後まで首を振ってくれなったのがコナミだった。 で、売るなら自分の手で、という意識が極めて強かった。
「ソニー・フォーマットは、次世代の中核になると思いました。 ソニーというブランドに対する信頼感もありました」というのは、コナミの北上常務である。
「結局、コナミとしては、ソニー・フォーマットに加わることを決めました。 当時、スーパーファミコンとセガのメガドライブをやっていましたが、すでにマーケットは飽和状態で、これ以上の大きな成長は望める状態ではありませんでした。
次の柱を育でなければならない時でした。 セガさんは、まず自分で地歩を固めてから、サードパーティに呼び掛けるのが常でしたから、その時点でわれわれが頼るのはソニーしかありませんでした」。
ところが、プレイステーションに加わるというところまではスムーズに行ったが、仕入れ販売の話になったら、そうは簡単に進まない。 事態はすっかり腰着してしまった。

コナミはか毛細血管営業uと業界で評されるほど、全国津々浦々に自前の営業を張り巡らせていることで有名な会社である。 当コナミは、非常に直販指向の強い会社時、全国に営業所一00、版売会社一容である。
コナミは、家庭用ゲ-ムの営業体制を飛躍的に拡充していた。 なぜ自ら販売ができる体制が築けたのかというと、アーケードゲ-ムの販売、メンテナンスのために、もともと人員を割いていたからだ。
搬入やメンテナンスのために人が必要で、彼らに家庭用ソフトの販売もやってもらっていたのである。 北上は言う。
「メーカーなのだから、自前の販売網を持つのは当たり前のことですよ。 ユーザーのニ-ズをつかみながら、開発するのがメーカーの努めであり、そのためには、直販網が絶対に必要なんです。
メーカーは流通を他人任せにしていてはいけません。 しかもメディアがCD1ROMなのだからリピートが早く、ROMカートリッジでは不可能な迅速生産ができるわけで、やっぱり我々が直販に乗り出すべきだと思っていました」。
しかし、このコナミの思いは、ソフトはSCEIが仕入れて一手に販売するという方針と、真っ向から対立した。 「ところがね、話は我々が直販をするのではなく、SCEIが仕入れて売るというんですよ。
その話を聞いたとき、私は、とても嫌でしたよ。 だって、せっかく初心会から離れて、自分の責任で流通を行える可能性が出てきたのに、それをSCEIに持っていかれるんですから…。
こんなコナミを相手に、Sは孤軍奮闘したが、なかなか首を縦に振ってくれない。 しかし、それでも何度も北上のところに通い、とうとう、コナミも恨負けした形で渋々了承してくれた。
と言っても条件が付いた。 時限契約である。

北上が言う。 「それなら一年半でどうかと、SCEIに申し入れました。

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